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クリーンおじさん2/つかボン

2000HIT御礼!


えー、みなさん。大変長らくお待たせしました。
ようやく2000HIT記念のお礼が準備できました。
予想していた方もいるかもしれませんし、こんなものいらねぇよ、と思う方もいるかもしれませんが、これが2000HITに対する私なりのささやかなお礼です。
快く受け取ってくれたら嬉しいです。

今回は、前回に比べ少し長くなってしまいました。その分上手くまとめられているか不安です。
眠気眼を擦りながら執筆したので、一応推敲はしていますが、所々表現が可笑しい部分もあるかもしれません。
それでも、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
コメントもお待ちしています。

それでは、「続きを読む」からどうぞ!


『クリーンおじさん』(/2//4<上>/4<下>


『クリーンおじさん2』
 
 
 今でも時々考えることがある。
 もっと違う言葉をかけていれば、わたしとあいつは今とは違う道を選べていたのだろうか、と。
 もっと違う接し方をしていれば、わたしとあいつは身を寄せ合うように側にいれたのだろうか、と。
 だけど、それは本心の言葉で、本能からの行動だった。例えそれが、あいつにとって辛い仕打ちだったしても。
 だから、今でも時々考える。もう手遅れだと分かっているのに。
 過去を取り戻すかのように考える。
 
 
 冬の身を焦がすような冷気を肩で切りながら、コンクリートの上を自転車で疾走する。
ギュルギュルギュルギュルと、車輪が絞り出す効果音を脳内で代弁しながらペダルを高速で回転させる。勢いに任せて「うがーっ」とか叫びたくなる衝動を唇を引き締めることで無理やり抑え、前を自転車で走行していた高校生ぐらいの男の子を横合いから抜かす。
 抜かす瞬間、男の子の顔を見ようと首を曲げたら目が合った。男の子は一瞬体をびくっとさせ、すぐに目を逸らした。……なんだ、わたしの顔そんなに怖いのかぁ?
 失礼な男の子を置き去りにしてスピードを上げる。男の子と一緒にこの胸の内にわだかまるモヤモヤでグニャグニャした嫌悪感も置き去りに出来たらいいのに! そんな奔放な空想を描きつつ、ミサイルのごとく突き進む。
 前方に土手へ繋がる坂道を発見。サドルから腰を浮かせ前傾姿勢に移行。ペダルを踏み込む足に力を入れて一気に坂道を駆け上がった。
 視界が開ける。きし麺のように縦長な道の先で鉄橋が対岸と対岸を結んでいる。左手には平坦な河川敷が広がり、遠くに蟻ん子のように蠢く野球少年たちが見えた。遮るものが無くなったため、果てを知らずに続く空が強調される。十二月の乾いた風が頬を撫でる。耳を裂くようなキリキリとした痛みを感じるけど、全力疾走をして汗ばんだ体には心地いいぐらい。
「気持ちいいですなー」
 自然と感想が漏れる。その言葉がまるで自分の発言ではないかのように聞きながら、ハンドルから両手を離し左右に大きく広げて胸を逸らす。気分は何となくタイタニックなのです。でも、あの映画見たことないんだよねぇ。
「こんなことしてるから、周りから変って言われるのかねぇ」
 わたしの呟きが寒空に放たれ離散した。
 最近わたしのパーソナリティになりつつある『変人』という周りからの認識。たいていの人は冗談半分みたいだけど、わたしのことをよく知らない人は本気で『変人』と認識しているらしい。別に変と言われることに関しては気にしてないけど、何でそういう風に呼ばれているか理解出来ないから、大学の友達と喋っていても、街で偶然出会った古い友達の名前が思い出せずに上っ面だけで会話しているような気持ち悪さを感じずにはいられない。
「つーか、人間って大概みんな変人でしょ。普通の人間の方が希少だと思う訳さ、このわたしは」
 広げていた両手で再度ハンドルを握り直す。
 鉄橋のバックに赤みがかり始めの太陽を見つけて眉間にしわを寄せる。心に、漬物石を置いたような圧迫感を感じる。なんだこれ。
 しばらく、ペダルから外した足をぶらぶらさせながら胸につっかえる焦燥心の原因を探ってみた。脳裏をよぎったのは大学の友達の顔。……あ。この風景、美姫が学祭展に出展した絵に似てるんだ。
 友達の描いた絵を思い浮かべて苛立ちを覚えるなんて、いささか薄情な気がするけど、心中穏やかではいられないのですよ、あんなことを言われちゃうとね。
 今日の昼食時に言われた美姫の言葉を思い出す。
「聞いて聞いて、茉莉。学祭展で大賞に選ばれた私の作品が今度雑誌に載るんだって! 茉莉にも見せたでしょ、あの夕陽を背景にした絵。記者からインタビューもされるみたいなんだ。ほら、ウチの学祭展ってキャンパス内でやってるわりにレベル高いじゃない? わざわざプロの画家を呼んで審査員にしてるぐらいだし。だから、メディアも一年に一度のこのイベントに注目してるのよ。何だったかなー、確か『美術時間』ってゆう月刊誌だったと思うけど。……でも、茉莉が学祭展に出展しなくてホント運が良かった。『才人』って言われる茉莉が出展してたら私の作品が選ばれることなんてなかっただろうしね。惜しかったねー、茉莉も出店すればよかったのに」
 一人で喋り続ける美姫の顔は、取れたての新鮮な魚のようにはしゃいでいた。いつも落ち着いていて、取り乱すことの少ない美姫には珍しいことだった。それほど嬉しかったのだろう。そう考えるとはらわたが煮えくり返りそうになる。
 確かにわたしは入学当初から『才人』と言われている。中学や高校の頃から数多くのコンクールに応募して、その分だけの賞を受賞してきた。高校三年の頃に『全日本学生美術展』で推賞を受賞したことで、そんなわたしの名前は確固たるものに位置付けられた。自分で言うのもなんだけど、入学したての頃のわたしは、まるで雑誌モデルのような有名人として扱われた。
『才人』という評価には悪い気はしないどころか、むしろ嬉しかった。小さい頃から夢中になっていた絵に関しての評価なんだから嬉しくないはずがない。
 だけど、その評価はわたしの周囲に敷居を築いてしまった。わたしが格調高い人物だと思ったのか、その敷居を跨ごうとする人間はいなかった。入学してからしばらく、わたしは孤独だった。
 そんなわたしに話しかけてくれたのが、美姫だった。
 わたしが現在通っている地元の美術大学は、全国的にも名が売れている大学らしく、地方からも才能のある学生が多く集まってくる。美姫もその中の一人だった。彼女はどこかの令嬢を思わせるような気品に溢れ、育ちの良さをオーラで振り撒き、垢抜けた華やかさを持った人物だった。
 だけど、彼女の描く絵は、その華やかさとは対称的に素朴なものばかりだった。素朴でいて、その風景が実際にその場にあるかのような生々しい絵を描く。
 その絵を見た時、ただ素直に凄いと思った。
 わたしと美姫は、お互いの絵を批評し合い親交を深めていった。美姫は、大学で始めて出来た友達だった。
 だからこそ、美姫の言葉は骨の髄まで抉り取るような衝撃を残した。
 実は、最近少しスランプ気味。スランプなんて言葉、ひよっこのわたしが軽々しく使っていいのか分からないけど。とにかく、描きたいものが全く浮かばないんだよねぇ。浮かんでも霞がかかったようにぼやけて上手くイメージできない。そんな日々を繰り返している。原因が判明しないのがまた厄介。
 だから、一年で最も大きいイベントである学祭展への出展要請も当然のごとく断った。
 美姫は、わたしがスランプ状態であることを知っているのに「茉莉も出展すればよかったのに」なんて言うのだ。これ見よがしに自慢までしてくるし。
「そりゃ誰だって怒るっつーのっ」
 しかも、仕舞いには「絵を描くことに疲れたなら、私が『才人』の座を交代してあげようか?」なんて言ってきた。大きなお世話じゃボケー
 美姫はきっと、私が『才人』と言われていることが気に食わないんだ。プライドが高い子だから。そう思うと、わたしと仲良くなったのも、わたしと一番近い位置で才能を誇示するためだったんじゃないのかって、幼い考えすら浮かんでくる。
「結構上手くやっていけてると思ったんだけどにゃー」
 ふにゃあ、と効果音が付きそうなほど体を弛緩させて、ハンドルの上に前のめりになる。気付くと、鉄橋が目前に迫っていた。この鉄橋の向こう側はわたしの知らない町。
 目的なく自転車を走らせていたから、当然目的地なんてない。このまま海まで行っちゃおうか? ……いやー、さすがに冬の海は身に応えますなぁ。
 結局左手に見えている河川敷に下りることにする。ロマンチストにはなれないなと再認識。
 雑草が生い茂った斜面を勢いよく下り、橋の下に自転車を停める。
 うーん、来たのはいいけど、特にすることないですなー。とりあえず河川敷の淵に立って滔々と流れる川を眺めてみる。
 淀みなく流れる川の様子が羨ましいなぁ、なんて思う。わたしの心には障壁がたくさんあって、ときにぶつかり、ときに塞き止められて、一向に上手く機能してくれませんから。
川の流れのように、穏やかに生きれたらいいのに。もしくは、どんな苦難も軽く受け流せるような気概が持てたらいいのに。でもそうすると、あらゆることに淡白になって全く絵が描けなくなるんだろうなぁ。
野球少年たちの小気味好い声が木枯らしに乗って耳を通過する。
 むー、何だかわたしの体の中にあるもわもわした何かが無性に疼くんですけどっ。背中の手の届かない部分がむず痒い。この名状しがたい想いをこのままお腹の中に溜め込んでいたら胃潰瘍になりそう。
 わたしは両足を肩幅に開き、口元に両手で“O”の文字を形作る。そして、すぅーーーっ、と大袈裟に息を吸って、一気に吐き出した。
「美姫のアホーーーーーーーーっ!!」「うるさいぞー」うひょお!
 どこからともなく得体の知れない声が介入してきた。
 危ねぇ危ねぇ。思わず乙女の称号を返上しないといけなくなりそうな奇声を上げるところだったぜ。
 ロボットのようにカクカクと首を捻り、背後を振り向く。
 おじさんがいた。
 ごめん。修飾語がなくて伝わりにくいと思うけど、本当に形容しようのない普通のおじさんなんだよね。強いて言うなら、小汚い? ……いや、ホントごめん。
 平凡な(便利な言葉だよねー)おじさんは、脇にモップを抱えベンチに座っていた。側にはバケツも置いてある。清掃活動中? でも、モップとバケツはこの場に相応しくない気がするけど。
「これはこれは失礼しました。先客がいるとは思わなかったもので」
 曖昧な笑顔を浮かべて少しおどけてみせる。
 おじさんは「ん」と答えて体を逸らすように伸びをする。寝てたのかな。そういえば、顔が眠たそうにぼんやりしているような。元々かもしれないけど。
 左腕の裾を捲り、何かを確かめている。……時計だ。
 その時計は、離れた位置からでも分かるほど高価そうな代物だった。お世辞にも綺麗とは言えない服装の中で、時計だけがひと際輝いている。不釣り合いという言葉は、この様相をもって言うのではないかと思えてしまう。矢のように違和感が体中に突き刺ささった。
「もう少し休憩するつもりだったけど、早めに起きてしまったようだね」
 澄んだバリトン。声が男前すぎる。言っちゃあ何だけど、全く似合ってない。この人が声優だったら「詐欺じゃん!」って叫びたくなっちゃうね。
「こんにちは、お譲ちゃん」
「お、お譲ちゃん!?」
 時代錯誤な呼び名に、演技臭く身構えて一歩後ずさる。今どきそんな呼び方をする生物が生き残っているなんて思わなかった。
「ん? 違うのかい?」
 どうだろう。お譲ちゃんの定義なんて知らないけど、十九歳はその境界線上で綱渡りしている歳じゃないかな。
「え、ん、んー、微妙かなー。でも、気分が良いからお譲ちゃんでお願いっ」
 ぎこちなく右手を前に出して親指を立てる。
 目上の人に敬語を使うことを忘れるのはわたしの悪い癖だ。直す気はないけど。
「おじさん、だれ? あ、ちなみにわたしの名前は早見茉莉。害のない良い子です。よろしく」
「初対面の相手にいきなり『だれ?』と聞くのは常識的にどうなんだろうね。正しいような間違っているような」
 おじさんは独り言のようにぶつぶつぼやきながら、ベンチの下に落ちていたくたびれた帽子を被り直す。そして、宇宙から電波を受信するかのように空中に視線を巡らせて、こう言った。
「クリーンおじさん」
「…………え、何それ」
「名前、ってことにしといてくれないかな」
「匿名希望ってこと?」
「いや、クリーンおじさんだ。あれ、もしかして知らない?」
「うん、知らない。おじさん、もしかして有名人か何か?」
「えっと、私にも分からないんだけど……」
 おじさんは気恥ずかしそうに顔を薄く赤らめ、頭をぽりぽり掻いている。どう見てもクリーンじゃないのに何を言い出すんだ、と頭の調子を疑ってしまいそうになる。頭の中がスッカラカンでクリーンなのかな? なんて考えは少々失礼すぎるか。でも、変な人だけど悪い人じゃなさそう。
「さて、そろそろ再開しないと」
 そう言ってベンチから腰を上げ、両手にモップとバケツを持つ。
「再開って何を?」
「あれだよ」
 あれ、と言って指差したのは、おじさんの更に背後にある鉄橋の石柱。その壁面にはカラフルなカラースプレーで描かれたどこにでもありそうな落書きがあった。ただし、四分の一ほど擦り消えてるけど。
 それを見ておじさんがモップとバケツを持っていた意味を納得する。ついでに、『クリーンおじさん』と名乗った理由も。つまりおじさんは、今まで落書きを消す作業をしてたんだ。めちゃくちゃ良い人じゃん!
 だけど、何でそんなことを? 
 そそくさと作業を開始するおじさん。わたしは、さっきまでおじさんが座っていたベンチに腰掛けて、作業の様子を観察することにした。
 慣れているのか、おじさんは滞りなく作業を進めていく。その姿はすごく様になっていた。
 ……なのに、である。
 違和感を覚えるのは何でかな。この人には違和感ばかり覚えさせられている。ボタンホールの掛け違い、そんなイメージを抱く人なんだよね。それがあるべき姿ではないような、ね。
「おじさんさぁ、何でそんなことしてんの?」
 これは、おじさんの行為の理由を知るためというよりも、違和感の謎を解くための質問だった。
 おじさんは横目でわたしを一瞥して、どこかあどけない表情で柔和に微笑む。
「そんなことを知ってどうするんだい?」
「大丈夫、安心して。別にネット掲示板に書き込んだりしないから。ただの好奇心。おじさんの素性はわたしが守るよ」
 おじさんは、私の頭の中で、身分を偽りつつ影ながら町を守る正義のヒーローに勝手に変換されていた。おじさんは「頼もしいねぇ」とクワガタを打ち負かすカブトムシを見るような眼差しを向けてくる。
「でも、お譲ちゃんみたいな若者に、私みたいな中年の退屈な話をしても為にはならないと思うよ」
「オールオッケーだぜ! わたし、よく相談持ちかけられるタイプだから」
「はは。そりゃ結構」
 尚も苦笑いのおじさん。夕陽に当てられた鉄橋の影が、その相好に落ちる。それが演出効果となったのか、優しさを伴っていた笑顔が物憂げに見えた。そういう顔は苦手なんだけどなぁ。
「この町の若者は不思議だねぇ。お譲ちゃんたちを前にすると、私のことを話してもいいような気分になる」
 その言葉で、さっきまで強気を保っていた心にひびが入る。他人に話すべきではないことを訪ねてしまったのかと、不安色の影がまばらに生える雑草の上に伸びる。ぐらぐらと落ち着かない内心を誤魔化すように咳払いをした。
 おじさんの手が壁の落書きを撫でる。落書きを見つめながら静かに呟く。
「贖罪なんだよ」
「贖罪?」
「そう、贖罪。お譲ちゃんは悪いことをしたことがあるかい?」
 悪いこと。それはあまりにも抽象的すぎる言葉だと思う。
 どの程度を指して言っているのか釈然としないけど、悪いことならしたことがある。いちいち数えちゃいないけど、きっとたくさん。したことがない人なんて、生まれたばかりの赤ちゃんぐらいじゃないの?
「そりゃあ、まぁ、したことあるけど……」
「じゃあ、償わなきゃダメだよ」
 思わず息を詰まらせる。体が、凍ったように反応しない。寒気がするのは、橋の下を吹き抜ける寒気を伴った風のせいだと思いたい。
「誰だって悪いことをすれば罪の償いを求められるだろう? 私のしていることはそれなんだ」
 今度こそ、本当に体が凍りついた。一瞬、おじさんの姿があいつと重なって見えた。
 頭蓋骨の中で鐘を鳴らされたようにぐわんぐわんと視界が揺れる。わたしの心情を反映しているかのように足元が不安定に感じられて、気を抜いたら倒れてしまいそうだ。
「おじさんも……悪いことしたの?」
 おじさんは「もちろん」と力強く答える。まるで、自分自身を責めるかのように。
 ふと、先日行った絵画展で見た一枚の絵を思い出す。それは、自らの手にナイフを突き立てる男が一人描かれているだけだった。だけどその絵は、圧倒的な存在感を放っていた。見続けていれば発狂してしまいそうな狂気を含んだ絵だった。他に見たどの作品よりも克明に記憶に刻み込まれている。タイトルは確か、『断罪』だったはず。
「そんな、きっぱり断言しなくても」悲しい。
「罪は罪だよ。目を逸らしちゃいけない。たくさん他人に酷いことをしたから、その分の償いを今しているんだ。……だけど、何でだろうなぁ。いくら償っても、全く気が晴れない。おかげで、町の清掃活動が日課になってしまった」
 おじさんの言葉は、ほとんど独白のようなものだった。懺悔をして神に許しを請う罪人のように。壁の方を向くおじさんの表情は、ここからでは窺い知れない。
 おじさんの言葉で切れそうな思考の糸を繋いで、何とかその場で踏ん張る。
 あいつも似たようなことを言っていた。俺の努力は罪滅ぼしだ、って。いくら努力しても、もう俺には茉莉みたいに夢を想い描くことは出来ない、って。そして、最後にこう言うんだ。ごめん、って。だけど、それは違う。違うんだよ……!
 どんな悪いことをしたの? とは恐ろしくて聞けない。でも、何でかな。おじさんの言い分を素直に飲み込むことは出来そうにない。
「そんなの、寂しいだけじゃん」
 無言のままおじさんが振り返る。その顔には、さっきまでの笑顔は浮かんでいなかった。
 あーもう! 何でそんな悲しそうな顔するかな! そういう表情は苦手だって言ってるのに。
 悲しみや寂しさや虚しさや辛さみたいな負の感情は伝染する。それはすごく嫌だ。嫌で嫌で、蝿に集られるぐらい鬱陶しい。
 粒子の形を取って目の前を漂う目障りな負の感情を、振り払うように首を振る。
「どんな理由があったって、おじさんのしてることはこの町の為になってるじゃん! よく知らないけど、きっとみんなも喜んでると思う! わたしも偉いと思うし! なのに、償いだ償いだって、馬鹿みたいじゃん! 良いことしてるのに償うって、意味分かんないじゃん! 自分でも何言ってんのかよく分かんないけど! とにかく、もっと前を見るべきだよ! 自分を卑しめたって楽しくないんだから!」
 わたしは、この見ず知らずのおじさんに思いの丈を全てぶちまけた。おじさんは口を間抜けに開けたまま呆然としている。
 おじさんも、あいつも、馬鹿だ。自分を否定ばかりして、逃げ道を作っている。卑下して蔑んで陥れて、後ろめたさの檻の中で閉じこもっている。自分のしたことが、真っ直ぐでも綺麗でもないから。自分のしたことを、認められるのが怖いから。
 でも、おじさんもあいつも、していることは正しいことなのに。その裏にどんな後ろめたい気持ちがあったとしても、それだけは確かなのに。
「いやぁ、すごいねぇ」
 それまで呆気にとられていたおじさんが、今にも拍手をしそうなほど顔を輝かせながらわたしの方に近寄ってくる。目の前まで来たおじさんは、手を伸ばして何かを差し出してきた。
 ハンカチだった。
 そこで、初めて自分が泣いていることに気付いた。瞬間湯沸かし器のごとく顔が紅潮するのが肌を通して分かる。
 わたしは「あわわ」と焦りながらハンカチを受け取った。は、恥ずかしーっ。何で泣いてんだよー、わたし! 初めて出会って十分も経っていない人に剣幕を見せてしまったことよりも、泣いてしまったことが恥ずかしい。
「お譲ちゃんと同じようなことを、最近他の人に言われたよ。ニュアンスは大分違ったけどね」
 そう言って、おじさんは涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔をハンカチで必死に拭くわたしの隣に腰を下ろす。
「お譲ちゃんの言ってることは正しい。でもね、そんな境地に私はもう立っていないんだよ。お譲ちゃんのように物事を捉えるには、私は人生を無駄遣いし過ぎた」
 わたしは顔にハンカチを押し当てながら「そんなこと……ひぐっ……ないっ」と必死に言葉を紡ぐ。口の中でネバネバが絡まって上手く発音出来ないけど、それでも気持ちが伝わるように声を絞り出す。じゃないと、わたしがここに居る意味が分からなくなる。
「ありがとう、こんな中年のことを考えてくれて。私自身より、私はお譲ちゃんがそんな風に明るい考えを持ってくれていることが嬉しい。お譲ちゃんの人生はまだまだ長いんだ。その気持ちを大切にしなさい」
「……自分勝手だよ」
「そうかもしれないね。でも、さっきのお譲ちゃんの言葉。あれは自分に向けた言葉でもあったんじゃないかな?」
 ハッと顔を上げ、涙で潤んだ瞼を瞬かせる。そうかもしれない、と思った。
 わたしも、この数カ月の間、前なんて見ていなかった。
 わたしは大学生になる時、夢を追いかけることを選んだ。それは正しかったのかもしれない。でも、それを認められるのが怖かった。結果的に、わたしはあいつを置き去りにしたんだから。
 もっと違う言葉をかけていれば、もっと違う接し方をしていれば、って考えていたのに、離れていくあいつの腕を掴むことが出来なかったことをずっと後悔してた。その後悔を自分の後方に追いやって、そればかり見続けていた。前方不注意を率先して行っていたのは、わたしだった。
 大学生になってから、何度もあいつと連絡を取ろうとした。けど、怖くて出来なかった。あいつは、わたしを咎めたりはしはい。むしろ、自分が悪いと考えるに違いない。それが怖かった。いっそ、思いっきり罵ってくれればいいのに。でも、きっとあいつはそうしない。
 わたし、腐り切ってた。今までずっと、腐り切ってた。こんなんじゃ、絵なんて描ける訳ないじゃん。
「ホントだね。今更気付くなんて」
 乾いた喉から出る声は驚くほど掠れていて、口内が切れるかと思った。
「今更じゃないさ。お譲ちゃんにとっては、今更なんかじゃない」
 おじさんは、はっきりとそう言う。
「何だよ。根拠ないじゃん、それ」
「根拠なんかなくても、事実があれば、それは同じじゃないかな?」
「事実……ってなに」
 訝しげな目で見上げるわたしに、おじさんはまたもや優しく柔らかく微笑む。
「お譲ちゃんの悩みが全部綺麗さっぱり吹っ飛んで、お譲ちゃんのこれからの人生が上手くいく、という事実だよ」
「……その事実の信頼度はいかほどで?」
「私がよく相談を持ちかけられるタイプだから、じゃダメかな?」
 吹き出しそうになった。つーか吹き出した。「それ、信頼度最悪だから」とお腹を抱えて笑った。
 そうだよ、根拠なんていらないじゃん。事実はいつだって確固たる証明なんだから。後は、その事実を実現すればいいだけ。なーんだ、すごく簡単だったんだ。
 おじさんは満足そうに頷き、鷹揚に腕を組む。
「今度はお譲ちゃん。お譲ちゃんの話をしてくれないかい?」
「え、わたしの話?」
「うん。さっき川に向かって叫んでただろ? あれのいきさつをさ」
「あ、」
 そういえば、そんなこともしましたね。ごめん美姫、すっかり忘れてた。
「いんやー、あれはですなー。友達関係がぎくしゃくしてたっつーか、亀裂が入りかけてたっつーか。それで、こう怒りを声に出して爆発させてみたのですよ」
「お譲ちゃんも随分と変わった子だね」
「うん。よく言われる」
 今なら、わたしが変って言われる理由が分かる気がする。友達には「今更かー」って怒られるかもしれないけど。
「それで、その友達とは仲直り出来そうなのかい?」
「んー、つーか喧嘩じゃなかったんだと思う。わたしが勝手にそう思ってただけなんだよ」
 確かに美姫は、酷いことを言ったかもしれない。でも、美姫は最初からそういう人だった。初めて美姫がわたしの絵を見た時、こう言った。「変な絵。何書いてるのか分からない」って。
 わたしは驚いた。だって、わたしの絵をけなしたのは美姫を除いて過去に一人しかいなかったから。後から美姫本人に聞いたことだけど、美姫は興味のない絵には批評どころか見向きもしないらしい。だから、あれは美姫がわたしに興味を抱いてくれた証拠なんだよ。
 今回のことも、大きな賞を受賞することによって、ようやくわたしと対等になれたっていう美姫なりの喜びの表現だったんじゃないかな。勝手な解釈だけど、わたしはそう信じてみることにする。
「おじさん、また作業に戻ってよ」
「ん? それは構わないけど、急に何で?」
「いいからいいから」と言って、おじさんの背中を急かすように押す。
 おじさんが石壁の方にたどたどしい足取りで戻るのを見計らって、自転車まで駆ける。前かごに押し込んでいたリュックサックの中から、一冊のスケッチブックと筆記用具を引っ張り出す。そして、またベンチまで戻り、スケッチブックを開いて「いざ!」と気合を入れて腰を下ろす。
「何だいそれ。恥ずかしいじゃないか」
「だいじょうぶいっ! おじさん、カッコいいよ?」
「お世辞は上手く言わないと意味ないぞ」
 ばれたか。でも、いいのです。わたしの中のおじさんがカッコよければ。
 久しぶりに感じる。津波のように押し寄せる情動に、全身が飲み込まれる感覚。
 ふと、空を仰ぎ見る。紅の世界に浮かぶ雲が、千切れながら流れて行く。目を閉じてみた。胸の高鳴りがはっきりと聞き取れる。何だ、わたし、まだまだ美味しいじゃん。賞味期限切れてない。腐ってない。
 描きたい。
 わたしは、絵のモデルに対して必ずお礼を述べることを義務付けている。
「ありがとう」
 わたしの心をクリーンにしてくれたおじさんに、惜しみない敬意と感謝を込めて。
 
 
 美姫にメールを送ったのは、その日の夜だった。内容はこんな感じ。
「学祭展で受賞したあの絵だけど、正直アイディアが古いと思う。タッチは荒いし、色合いも微妙。特に太陽から周囲に螺旋状に広がるグラデーション。あそこはもっと強調すべきだった」
 美姫の絵を見て受けた印象からマイナスの部分だけを抜粋してみました。何だかんだで、やっぱりお昼に言われたことはムカついたからね。ささやかなお返し。
 でも、大丈夫。明日大学で、皮肉を言い合いながら口論するだけだから。その時は、美姫と同じ目線の高さで向き合おう。『才人』なんて称号は、わたしの後ろに置いてきた。後悔はしてない。後ろはもう振り返らない。
 美姫にメールを送った後、そのまま携帯電話の電話帳の画面を開いた。開いてすぐに『あ行』のページが映し出される。そのページの一番上に、何度も連絡を取ろうとして諦めた名前が無機質に存在している。
 携帯電話を握る指が震える。呼吸が少し荒い。一旦画面から視線を逸らし、テーブルの上に向ける。
 大丈夫。わたしは、大丈夫だから。
 一度深呼吸をして、親指に力を込め、ボタンを押した。
 テーブルの上には、一枚の紙切れが置いてある。そこには、モップを握りしめ、生き生きと落書きを消す、一人のおじさんの絵が描かれていた。
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Comments

前回よりもあの文体を使いこなした感がありました。
とても面白かったです!

「秘すれば花」とどこかで聞きましたが、「あいつ」をぼやかして表現したところに、どこか魅力を感じました。
短編としては短いほうなのに、上手くまとめていて凄いな、と思いました。
こういう、同一人物を通じての短編が好きなので、とても気に入りました!!
次作待ってます><
Posted at 2010.05.03 (23:40) by ask (URL) | [編集]
こんばんは、つかボンさん。
すご―――――――く楽しみにしたかいがありました。
かなり、とても、すごく面白かったです!!

ボキャブラリー不足で私の読了後に受けた強烈な感動が、つかボンさんにどこまで伝わるか分かりませんが書きます。
まず、入間先生を彷彿させる文体ですね。
私は入間先生好きなのでこういうのはすごく好みです。
次に、内容がすごくいいです。
「夢」という誰もが一度は持ったものが題材にしてあり、感情移入が非常にしやすかったです。

本当はもっといろいろ思ったことがあるんですけど上手く言葉に出来ません…
すごく面白かったのだけは間違いないです。
「クリーンおじさん」でレビューの記事が1個かけそうなぐらい深い内容だと思います。
続きを非常に楽しみにしています。


Posted at 2010.05.04 (01:53) by じたま (URL) | [編集]
読みました。
相変わらず感想を書くのは苦手で下手なので、あっさりと書きますね。
レビューとかではないので本当に感想ですがよろしくお願いします。

今回の主人公にはとても共感できます。
そして、その主人公と同じようにどこか勇気付けられます。
私の書いている小説も、これぐらい進歩させたいです。

             歌雨 こころ
Posted at 2010.05.04 (11:02) by 歌雨こころ (URL) | [編集]
Re: タイトルなし
askさん、コメントありがとうございます。

小説読んでいただきありがとうございます。
お褒めに預かり光栄です。
askさんのお気に召す物語が書けて良かったです。
今回は前作からの伏線を拾い、そして次作へ続ける架け橋のような大事な内容にしようと思ったので、特別力を入れました。
その渾身の一作を評価していただけたので非常に嬉しいです。
次作楽しみにしていてください。

じたまさん、コメントありがとうございます。

じたまさんにはすご―――――――く楽しみにしてもらっていたので、すご―――――――く頑張りました。
大絶賛していただけて感無量です。
心配せずとも、じたまさんの気持ちはしっかり伝わっています。
私はもう、涙が出そうです。
やはり、入間先生に影響されているのはバレバレですねw
批判などがあるんじゃないかと心配でしたが、好んでいただけて良かったです。
次回作もすご―――――――く頑張るので楽しみにしていてください。

歌雨さん、コメントありがとうございます。

感想いただけるだけで充分嬉しいです。
読んでいただけたという事実が何よりですから。
歌雨さんの小説も私は凄く好きです。
これから、お互い向上心を持って頑張っていきましょう!
Posted at 2010.05.04 (23:41) by つかボン (URL) | [編集]
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前ブログ『BOOKDAYs!』の元管理人。
入間人間先生をこよなく愛し、自らも作家を目指す小説家志望だが、その実態は堕落人生まっしぐらのダメ学生。
しかし落ちるところまで落ちればあとは昇るだけ、それは可能性の獣。

同人誌『Spica-スピカ-』のメンバーとして活動もしています。
コメントなどはお気軽に。
どうぞよろしくお願いします。

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