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クリーンおじさん3/つかボン

『クリーンおじさん』の続編完成しましたので公開したいと思います!
今まで一話完結という形を取っていましたが、今回は少しスタイルを変えています。この『クリーンおじさん』の本編は一応次で完結する予定なので、最終話に繋がる終わり方にしてみました。
最終話に向けて物語を疾走させるため、多くの要素を詰め込みました。
そのため、ラストの部分は若干早足気味になっている感があります。今回もどうやら、反省点と向き合わなければならないようです。

それでは、「続きを読む」からどうぞ!


『クリーンおじさん』(//3/4<上>/4<下>


『クリーンおじさん3』
 
 
 昔の夢を見た。
 あいつと一緒にこの町で一番高い場所から町全体を見下ろしている夢。
 隣であいつが、幼い声を張り上げて宝石を目にしたかのように顔を輝かせて俺に笑いかけてくる。俺はそれを無視して、必死に視界に映る風景をスケッチブックに描写している。
 自分の存在を無視する俺に、あいつは拗ねたように頬を膨らませる。俺のスケッチブックを無理やり引っ手繰って、年季の入った鑑定士のように目を細めて俺の絵を眺める。お茶の間で人気のテレビ番組にでも影響されたのだろうか、なんて思ってた気がする。
 すると、膨らませていた頬を緩めて、今までより何倍も輝く笑顔を向けてくるのだ。俺は、その笑顔こそ宝石だ、なんて気恥ずかしいことを子供ながらに考えていた。
 そして、あいつは俺に何かを告げるのだ。だけど、何故かその言葉は聞き取れない。耳にシャッターを下ろしたかのように、その言葉が俺の鼓膜を震わすことはない。
 あいつは、あの時何と言ったんだっけ。それに、あの場所は何処だったんだっけ。
 それよりも、何で今更になってあの時の夢なんかを。……あぁ、そうか。
 それはきっと、今日久しぶりにあいつに会うからだ。
 本当に久しぶりに。
 
 
 茉莉から『デートしましょ!』ってメールが送られて来た。
 一昨日の夜のことだった。
 随分と久方ぶりに見た、送信者の欄に浮かび上がる『茉莉』という文字に飛び上がりそうになり、更には、突飛なメールの内容にその衝撃は上書きされた。
 簡素であっさりとした本文に急かされるように、混乱した脳で、深く考えないまま『いいよ』と返信をして一息。女の子に対するメールにしてはちょっと飾り気がなかったかな、と丁度ポットから注いできたばかりの紅茶を苦笑混じりに一口含んだところで、事の重大さに気付いた。
「日程聞くの忘れた」いやいや、そうじゃなくて。なして茉莉から? しかもデートって……。
 茉莉と会ったのは、おそらく高校の卒業式の日が最後のはず。その時も廊下で擦れ違いざまに目を合わしただけだから、最後に言葉を交わした時となると去年まで遡らなければならない。たぶん、一年ぐらい経つんじゃないか? その間気まずい時間を刻んできたのだから、今更会うのは精神面に優しくない。ましてやデートなんて……ムリムリ!
 すぐさま返信の内容を撤回しようと携帯電話を手に取ったと同時に、着信を告げる振動が体に伝わってまたもや飛び上がりそうになった。
 ……最近の女の子はメールの返信が手早いようで。その作家顔負けの文章力は大学のレポートに生かしてくれ。
『茉莉』というテロップが画面を横切るのを確認してからメールを開いた。
『んじゃ、今週の土曜日でアーユーレディ?』
「………………………………」
 英文法がそこはかとなく間違っていたけど、ニュアンスは伝わった。……いや、分かってるんだ。茉莉が本気でデートしようなんて考えてないってことぐらいは。あいつは、そういうやつだ。
 大学生の休日なんて、サークルにでも所属していない限り暇だと相場は決まっている。かく言う俺は実はサークルに所属しているのだけど、『超常現象研究会』という、名前だけのお遊びサークルだから活動は無いに等しい。つまり、暇だ。……だけどなぁ。
 俺はウンウン唸りながら、自らの尻尾を追い回す犬のように部屋中をくるくる徘徊した。あまり返信に時間をかけたくなかった。間が空くと、茉莉が余計な気を使いそうだったから。それに、紅茶が冷めてしまう。
「よしっ」と一息入れてベッドに腰掛け、携帯電話を拾った。ぎこちない手振りで『了解。十二時に駅前集合でよろしく』と打鍵した。実家が近所だから、高校生の頃までなら待ち合わせなどせずとも一緒に行けばいいだけだったが、生意気にも茉莉は、大学生になってから一人暮らしを始めやがった。地元の大学に通ってるくせにだ。
 ベッドに仰向けに転がって、「はふぅ」と喉の奥で詰まりかけていた息の塊を吐いた。
 不思議と後悔はなかった。それに、高校生の頃は嫌になるほど感じていた後ろめたさも思いのほか薄らいでいた。ずっと冷戦状態が続いていたのに、唐突にあんな間の抜けたメールを送ってきて拍子抜けした、というのもあるのだろうけど。それとも、俺自身の何かが変わったのだろうか。
 そもそも、以前の俺なら問答無用でこの誘いは断っていたはずだった。茉莉に会わせる顔なんて持ち合わせていなかったのだから。それを悩むならまだしも、了承するなんて。
 緩み気味の腹筋に喝を入れて起き上がった。紅茶を飲もうとカップを口元まで持ってきて、視界が水面に映る自分の顔を捉えたところで手が止まった。
「何ニヤけてんだよ、俺」
 液体の上で揺れる気味の悪い自分の顔を一気に流し込んだ。あ、もう冷めてる。
 ……そんな訳で現在駅前。今回のデートの企画者を待っている。
 厳寒の中、車道と歩道を区切る鉄柵に体重を丸投げして一人佇んでいる。零れ出た息が視認出来るほど白色に染まり、寒空に舞って溶けていった。小さい頃に、「凍える吹雪!」なんてふざけてはしゃいでた記憶が想起して、自分のことながら恥ずかしくなる。
 霜が降りそうな寒さの中でも、駅前は行き交う人々でごった返している。この中から茉莉を見つけられるだろうか。
 待ち合わせ時刻まで、あと五分は余裕がある。だけど、プラス十分は見積もっておいた方が無難だろう。茉莉は待ち合わせには必ず遅れてやって来る。別に、時間にルーズな人間という訳ではない。俺が相手だと必ず遅れるのだ。
 俺と茉莉は幼馴染だ。ごく普通のありふれた幼馴染。
 物心が付いた頃には、茉莉は俺の側にいた。家が近所で保護者同士も仲が良かったから、俺たちは当たり前のようにいつも一緒だった。お互いの家に断りなく侵入できるくらいに、家族総動員で俺たちは気心の知れた仲だった。だからと言って、アニメや漫画のように、茉莉が朝学校に遅れそうな俺を起こしに来てくれたりはしなかったけど。というか、俺より茉莉の方が寝坊してたし。
 俺と茉莉は出会った当初こそ、近くの小山に出掛けて虫取りをしたり川で泳いだりして過ごしていたけど、絵に興味を持ち始めてからは、描く対象を求めて二人で町中を駆け回っていた。
 先に絵に興味を持ち始めたのは俺の方だった。おそらく、小学生の頃。
 きっかけは、学校の図工の授業で描いた家族の絵を親に褒められたことだったと思う。親に褒められるのが嬉しくて、もっと上手になろうと幼い力が及ぶ範囲で努力をした。
 茉莉は、最初の頃は俺の描く絵を見て楽しむだけだったけど、その内自分でも描きたいと言い始めた。そして、俺に教えを乞うてきたのだ。
 俺は、それが堪らなく嬉しかった。茉莉が俺に向ける尊敬の眼差し、そして何よりも、俺の努力の結晶を披露出来ることが嬉しくて仕方がなかった。俺は、学校で図工を教える先生の気分で、茉莉に絵に関する知識と技術を身に付けさせた。俺たち二人の間には自然と師弟の関係が生まれていて、俺は茉莉の師匠であり続けるために更なる努力を重ねた。
 いつしか俺の努力の原動力は、親からの称賛ではなく、茉莉からの尊敬に変容していった。
 ……とまぁ、茉莉を待つまで暇だったから俺と茉莉の軌跡を辿ってみただけだ。あまりの寒さに脳がフリーズされて、俺の思考もフリーズしたからここまで。ちゃんちゃん。
「それにしても寒い……」
 手袋を装着した両手をダッフルコートに備え付けのポケットに入れて、顎の位置まで顔をマフラーに埋める。通りを行く人々を裂くように吹き荒ぶ風が憎い。お昼時ぐらい休憩すればいいのに。
 現在は十二月の下旬に差し掛かったところ。もう数日もすれば、町中が様々な採光を放つイルミネーションと、ピンク色の採光を放つカップルとで埋め尽くされる。クリスマスというやつだ。
 彼女絶賛募集中の俺には全く関係がないけどね。だいたい、アメリカではクリスマスは家族と過ごすのが一般的なんだぞ。日本の経済界に貢献する色狂いたちが自分に都合の良いように解釈するから、俺のような孤独を人生の伴侶にする人種が疎外感を受けるのだ、と愚痴ってみたくなる。……いや待てよ。数日前とはいえ、異性と一日共に出来る俺は勝ち組? これ、一応デートだし。
「茉莉相手じゃ、それは無いか」「何が無いの?」「のわぁっ!」
 突然茉莉が目の前に出現した。あまりの唐突さに、柵を乗り越えて頭から車道に飛び出すところだった。俺を殺す気か。
「にゃははは。変なこえー」
 ドッキリ作戦に成功した茉莉は、稚気の表情でけらけらと快活に笑う。そんな茉莉を睨め付け、深く溜息を吐く。
「それで、何が無いの?」
「何って、そりゃ茉莉のむ」「ちぇいやっ」「いてっっ!」
 向う脛を容赦なく蹴られた。い、痛い……。
 後からじわじわと押し寄せる痛痒に我慢出来ず落ち着きなく動き回る。一本足で奇妙に乱舞する大学生を演出。お返しのつもりだったのに、更にお返しが来た。しかもおまけ付き。理不尽すぎる。
「デリカシーのないとこは変わんないねぇ、未来は」
 変わんない、か。
 目尻に溜まった激痛の産物を指で拭いながら、改めて茉莉を眺める。
 淡いネズミ色のニットのカーディガンの上から、これまた淡いベージュのジャケットを羽織り、下にはチェックのプリーツスカートを着こなしている。レギンスの上から履いたえんじ色のブーツが、若者特有の洒落た雰囲気を漂わせている。
 肩口まで伸ばしたセミロングの髪の毛は、学生らしく悪目立ちしない程度に茶色に染められていて、化粧も程良い感じで好感が持てる。
砂漠色の建造物が建ち並ぶ街並みの中で一層際立つ純白のマフラーが、降り注ぐ光を木目細かな顔の造形に反射して、その、何と言うか、可愛い。不承不承ながら、会わなかった間に綺麗になったもんだと、感想を抱かざるを得ない。
「お前も変わらねぇな」こう寒いと、唇が麻痺しちゃうよネ。
「久しぶりに会った女の子に対して『変わらない』ってのは、ちと失礼じゃないかねチミィ」
 風に踊る髪の毛を抑えながら、茉莉が意地悪く口の端を釣り上げる。何を言わせたいのか、茉莉の思惑は容易に想像できたから、俺はその言葉を右から左に素通りさせた。
「とりあえず、どっかに飯食いに行こう。茉莉もまだ食ってないだろ?」
「お、ナイスアイディアっ。ファミレスに行ってこれからの予定を立てようぜっ」
「え、ノープランなの?」
「もちのろん!」いや、そこは威張るとこじゃないだろ。
 物事に無計画で挑むところは変わらねぇな。
 
 
 ファミレスでの緊急会議の結果、ここから電車で二駅先にあるショッピングモールに行くこととなった。今更地元に目新しい場所なんて無いけど、買いたいものがあるという茉莉の目的から選択。
 元々野球場だった土地を利用して建てられたため、そのショッピングモールは広大な敷地面積を誇り、多種多様なニーズに合わせた商店がパズルのピースのように埋め込まれている。アトラクションとして、八階建てのビルの上に観覧車が鎮座していたりする。オープン当時はそれなりに盛況だったものの、最近では無人で虚しく回り続けることも珍しくないらしい。電気代の無駄遣いだから早く撤去すればいいのにと思う。
 休日のモール内は、数日後に迫ったクリスマス熱に当てられた人々で賑わっていた。赤と白のツートンカラーなおっさんのマスコットやポスターが至る所に散りばめられていて、聖なる夜を良く思わない自分を責め立てているかのように感じて辟易とする。
「そっか、……もうすぐクリスマスなんだよね」
 生き急ぐように燦然と発光するカラフルなライトを見つめながら、茉莉が呟く。この場に自分以外もう一人、聖なる夜を良く思わない人物がいることに気付く。
「今年もおじさんとおばさんの墓参り行くのか?」
「うん。わたしが行かないと駄目でしょ」
「まぁ、そうだな」
 俺と茉莉の間に乾いた沈黙が流れる。毎回この話題になると、どういう表情をしていいか分からなくなる。何かを言おうとして、斜め前を歩いていた茉莉が咄嗟に振り向く。喉まで出かかっていた言葉は行き先を見失い、二酸化炭素と共に白い煙となって外に吐き出されるだけだった。
 すると、茉莉は頬の筋肉を緩ませ、太陽のように微笑む。
「なーに神妙な顔してんのさ。毎年のことじゃん」
 そう言って、掌で俺の肩をポンポンと叩く。
「今からそんな悲壮感ぶらさげてちゃあ、後がもたないですぜ。今日はたくさん買い物に付き合ってもらう予定なんだから」
 蕾が花を咲かせたような茉莉の表情は、辺りで輝くどのイルミネーションよりも暖かい光を燈していた。そうだよな。悲しい顔は嫌いなんだっけ?
「俺は、今日一日彼氏の役でも演じればいいのかな?」
 軽い冗談で場を和ませにかかる俺に背を向け、「ま、そういうことー」とどこか嬉しそうに大股でフロアの床を踏み慣らしていく。俺は、余計なお世話だったか、と苦笑混じりにその背中を追いかけた。
 最初に向かった先はレディースの服屋だった。
 カジュアルなブランド物を多く取り扱う落ち着いた雰囲気のお店。店内を女の子らしいインテリアで飾り立て、気兼ねなく入れる安心感を内包している。
 茉莉は目に付いた服を次から次へと身に当てがって「似合う?」と聞いてきて、俺はその都度「似合うよ」と答え、同時に茉莉の期待にも応えていく。そんなやり取りをしばらく繰り返した。実際どれも似合っていたから、嘘は言っていない。
 途中から人懐っこい笑顔を浮かべた女性店員が茉莉に話しかけ、電波が同調したのか妙に盛り上がり始めたので、店を出て側に設置されていたベンチに腰を下ろして待つことにした。
 結局服を三着ほど買った茉莉は、購入物の入った紙袋を俺に押し付け、「無限の彼方へ、さぁ行こう!」と十メートルほど距離を置きたくなるような恥心を揺さぶる言葉を発して、次なる目的地を目指した。
 次に向かった先は、やけに彩色に富んだ雑貨屋だった。
 そこで茉莉は、男の俺には使用用途の不明なこまごまとした商品を目にも留まらぬ速さでカゴに詰め込んでいく。
 ガラスで出来たボール状の器の中で白濁とした液体がクルクル回転している物体を眺めながら、「これ何に使うの?」と質問した俺に、「え! 知らないの!? もしもーし、今を生きてますかー?」なんて言ってきたけど気にしないことにした。
 その後も、本屋やレコードショップやキャラクターショップなどに散歩する犬のように連れ回され、果てには買いもしないだろうにペットショップに立ち寄って、決してガラス越しに人間から眺められるために生まれてきた訳ではない子犬たちを見て「きゃわうぃー」と一人癒されていた。
 女の子の買い物はいつもこんなに慌ただしいのだろうかと、疑問が脳内を埋め尽くしていく勢いに比例して、俺の両手も買い物袋で埋め尽くされていった。
 三時間ほど歩き回り、壮絶な疲労感が体中を蹂躙していく感覚に苛まれ始めたところで、ようやく「ショッピング終了!」とのお達しが下された。それでも、茉莉曰く「家に帰るまでがデートだ! つまり家に帰るまでが彼氏だ!」ということらしく、現在も俺の両手を蝕む重力は他の追随を許さない状態となっている。
「彼氏というより、休日に家族の買い物に付き合う父親の気分だよ」
「なーに言ってんの。女の子とキャッキャウフフ出来て幸せだったでしょ?」
 足に重しを装着して走らされる軍隊の訓練染みたことをキャッキャウフフと言うなら、世の中のデートに対する解釈はいろいろと間違っている。
 そんな風に無意識で無気力に無意味な会話を繰り広げていたから、魔が差してしまったのだろう。
「大学どう?」なんて、朝から触れないでおこうと思った話題を舌に潤滑油を塗ったかのように滑らかに口に出してしまい、後悔の波が一気に押し寄せた。
「んー、楽しいよー。大変なことも多いけど、結構自由だし。気の向くままに絵を描かせてもらってるって感じかな。力入れてる大学だから勉強にもなるね」
 何でもないかのように答える茉莉。その胸の内を推し量ることは出来ない。だけど、俺には一つの予感めいたものがある。
「そっちは?」
「え? あ、うん、楽しいよ。気楽に毎日を過ごしてる」
 それは確信にも似ていて、脳内で警戒を促すアラームが鳴り響く。すぐさま話題を変えようとした俺よりも先に、茉莉が口を開いた。
「ねぇ、未来」
「なに?」
「今は……絵、描いてる?」
 やっぱり、と思った。
 茉莉の大学について触れれば、話題の方向性が絵に関連することに転換されると予測していたのだ。だから、なるべく避けるつもりだったのに。
 優しさと不安が入り混じった曖昧な微笑みを表情に貼り付かせ、茉莉は俺の顔を覗き込んでくる。氷水を浴びたように温度を下げていく内心を気取られぬよう、茉莉の視線から顔を背けて隣を歩く。言葉が上手く思い浮かばない。
「俺は、」「あ、すいません。ちょっといいですか?」
 唐突に、横から声をかけられた。振り向くと、そこには作り物のように完成された笑顔を浮かべた女性が立っていた。このショッピングモールの建物名が印字された蛍光色のジャケットを着ているところを見ると、何かのキャンペーンガールかもしれない。
 女性がすっと何かを差し出してくる。反射的に受け取ろうとして、両手が塞がっていることに気付いたので、右手の荷物を一旦床に下ろして受け取る。それはポケットティッシュだった。ただ、そのポケットティッシュの中には小さな紙切れが封入されている。
「それ、この建物の屋上にある観覧車の割引券です。一枚で二人分有効なので、良かったら乗ってみてください」
 確かにその紙には『観覧車半額券』と書かれている。「お、いいじゃーん。行こ行こ」と茉莉が声のトーンを高くして横から覗き込んでくる。俺は話題が逸れたことに安堵して、「締めには悪いくないかな」と独りごちた。
 必要性は感じられないけど、一応お姉さんにお礼を言い、エレベーターで階段を上る労力をショートカットして屋上を目指す。屋上に着いたことを知らせるアナウンスから少し遅れて扉が開く。
最初に視界に飛び込んできたのは、夕陽に染まる町の光景。時間帯的にも当然なので特に感慨深くなったりはしない。
次に飛び込んできたのは、観覧車の下に広がる閑散とした広場。そこには数人の従業員がいて、みんなそれぞれに億劫そうな相好で自堕落に佇んでいる。俺たちの存在を認めると、仕事というより退屈さに疲れを覚えたような顔つきで体勢を整える。
キャンペーン効果の薄さに呆れ半分諦め半分の面持ちで茉莉を見遣ると、茉莉は嘆くべき経営状況には目を向けず、赤一色でカラーコーティングされた観覧車を仰ぎ見ていた。
従業員に先ほど頂戴した半額券と残りの代金を渡した俺と茉莉は、そのままの流れで観覧車に乗り込んだ。
荷物を座席の脇に積んで向かい合うように座り、外の従業員たちの生き写しのように怠惰に稼働する観覧車に身を預ける。
ゆったりとした時間が流れる。
「今日は楽しんで頂けましたか、お姫様?」
 少し皮肉を混ぜて、おどけた調子で声をかけてみた。
「未来は、わたしと久しぶりに会えて嬉しかった?」
 俺の質問を無視して新たな質問を被せてくる茉莉。俺はその真意が読み取れず、眉間に皺を寄せる。
「そりゃ、嬉しかったけど」これは本当の気持ち。
 茉莉は「そっか」と照れたようにはにかむ。夕陽がゴンドラ内に射し込み、茉莉の頬を赤く染め上げる。
「わたしは、よく分からない。嬉しいんだけど、何だか恐ろしくて逃げ出したくなった。でも、やっぱり嬉しくて。全然自分の気持ちが分からない」
 徐々に高度が上がるにつれて、光が入射角を変えて茉莉の顔に反射する。しばらくの間、茉莉の表情を窺うことが出来なくなった。
「本当はね、怖かったんだ、未来と会うのが。未来はわたしのことを恨んでなんかいないってことは分かってたけど……でもね、自分を恨んでるんじゃないかと思ったんだ。わたしに絵を教えた、自分自身を」
「それはっ!」違う、と言い切れなかった。そんなはずはない、そんなことはない、と否定すべきなのに、言葉が出ない。
「そんな未来を見るのが怖かった。それなのに、未来は昔と全然変わってなかった。それは嬉しいことのはずなのに……何でだろうね。恐ろしくて仕方が無かったんだよ。まるで、あの時から未来の時間が止まってしまったみたいで」
「……っ」
 途端に、凄絶なスピードを伴って記憶がフラッシュバックした。
 俺が茉莉の師匠でいられる時間は長くはなかった。元々素質があったのだろう、茉莉はあっという間に才能を開花させ急成長した。中学生の頃には、その実力は俺と肩を並べるほどになっていた。いや、今思うと、あの頃にはもう俺を超えていたのかもしれない。
 俺がそのことを僻むことはなかった。むしろ歓迎した。才能を持った人物が側にいる。茉莉と共に絵を描き続ければ、自分はもっと上手くなれる。
 そして俺たちは、一緒に画家になろうと夢を誓い合った。お互いに夢を結び合った。俺はその時から、たった一人の幼馴染との夢を実現すべく身を擦り減らすような努力をしたんだ。
 だけど、高校生になってから気付いてしまった。最も側にいたからこそ、気付いてしまった。自分には才能が無く、茉莉には才能しかないことを。俺がいくつものコンクールに応募しても一度も受賞出来なかったのに、茉莉は尽く何かしらの賞を受賞していった。最初は自分の力量不足だと思った。だから、努力に努力を重ねてそれを補おうとした。結果から言うと、俺の努力が実ることはなかった。
 そして、俺は茉莉を裏切った。
 夢を諦めたんだ。俺には、それしか選択肢が残されていなかった。努力を止めようとはしなかった。それが裏切った茉莉へのせめてもの償いになると思ったから。親に褒められるため、幼馴染に教えるため、夢を叶えるため、そんな奇跡を辿ってきた努力の目的の最終地点は、後ろめたさのひた隠しだった。
 だけど、それにも限界があった。俺の心がもたなかった。あの時、俺は茉莉に全てを打ち明けたんだ。夢を諦めたこと、今までの努力が紛いものだったこと、もう絵を描かないこと、その全てを。俺の告白を聞いた時の茉莉の顔は、絶望よりも深淵な無表情を形作っていた。その瞬間俺は、自分の体をズタズタに切り裂きたくなった。茉莉には、もう二度とそんな表情をさせたくはなかったのに。
 それ以来俺たちが言葉を交わすことはなく、それぞれ違う大学に進学した。
「わたしに絵を教えなければ、未来は夢を諦めることもなくて、今でも大好きな絵を描き続けていたはずなのに。でも未来は優しくて不器用だから、わたしを責めずに自分を責めるんでしょ? だから、ずっと言いたかった。未来がどんな道を選ぼうと、わたしはいつでも未来の味方。だから、もう自分を責めるのはやめて、って。過去に囚われずに前を向いて、って」
 強風に煽られながら、それでも観覧車は止まることなく回り続ける。我が物顔で空を遊泳する。もうじき、俺たちの乗るゴンドラが天頂に到着する。
「ねぇ……何か言ってよ、未来」
「………………………………」
 ほとんど泣きそうな声で懇願するように茉莉が訴えかけてくる。
 ふと、ゴンドラの外に視線を向けた。
「あ、」
 体中に稲妻が走る感覚を覚えた。俺の眼下には、町全体を眺望できる風景が広がっていた。
俺が今朝方見た夢の風景は、これだ。夢の中で俺と茉莉がいた場所は、この観覧車の中だったんだ。
全てを思い出した。俺は、小さい頃に茉莉と一緒にこの観覧車に乗ったことがある。茉莉に絵を教え始めた頃のことだ。親にこの場所に連れて来てもらった時に、この町で一番高いところから町の風景を描きたいと言って、勝手についてくる茉莉と一緒にこの観覧車に乗ったんだ。
あの時、茉莉は俺の絵を見て何と言ったのか。茉莉はこう言ったんだ。
「わたし、みらいの絵好きだよ」って。
 それは、その先何度も茉莉が俺に言った言葉だった。俺が絵を描いて茉莉に見せると、好きだよ、未来の絵好きだよ、と宝物を抱き締める子供のように愛おしそうに言うんだ。俺はそのたびに心臓を雑巾のように引き搾られる苦痛に苛まれていた。自分より才能のある人間に言われても、皮肉にしか聞こえなかったから。だから、夢の中でも拒絶するように聞き取ることが出来なかった。
 だけど。
 だけど、本当は嬉しかったんだ。
 その言葉は、俺の努力を認めてくれる言葉だったから。俺の努力を肯定してくれる言葉だったから。ずっと誰かに言ってほしかった、俺の努力は無駄ではないんだ、と。
 ずっと前から側にいてくれたのに、気付かなかったなんて。
 俺は視線を戻し、茉莉の瞳を真っ直ぐに見据える。
「なぁ、茉莉」
「な、なに?」
 茉莉は不安げに目を泳がせる。つくづく思う、そんな表情は似合わない。
「俺は、あの時茉莉にした仕打ちを一生忘れることは出来ないと思う。あれは、俺が責任を持って背負うっていかなきゃいけないものなんだ。だから、茉莉の言うように自分を恨むことをやめるのは、まだ無理っぽい」
「……でも」と茉莉が俯きながら肩を小刻みに震わせる。
「だけどっ」
 俺は、背中に乗る重荷の重圧を振り払うかのように強く言い放った。
「茉莉に絵を教えたことを後悔したことは、一度もない。それだけは確かだから」
 恐る恐る茉莉が顔を上げる。何かが口から零れ出るのを我慢するように唇を引き締め小さく痙攣させている。大きな瞳には荒れ狂う感情を凝縮した涙が水溜りを作っている。だけどその涙は、光に反射して宝石のようにきらきら輝いていた。
「なんだよぉ。未来のくせにカッコつけんなよぉ」
 そう言って、頬の筋肉を弛緩させて無理やりに笑った。俺を、自分自身を、安心させるように。緊張の糸が途切れ、必死に留めていた涙が溢れ始める。だけど、茉莉は笑ったんだ。涙で顔をクシャクシャに歪めながらも、笑ったんだ。
「やっぱり、茉莉には笑顔が似合うよ」
「あはっ。それ言ってくれたの二回目だね」
 茉莉は「えへへー」と笑いながら、手の甲で何度も何度も瞼を擦る。中々止まる気配の無い涙は、滾々と湧き続け悪戦苦闘を虐げる。
「おい、大丈夫か?」
 俺が咄嗟にさっき貰ったポケットティッシュを渡そうとすると、「だ、大丈夫だから!」と言って背負っていた自らのリュックサックからハンカチを乱暴に引っ張りだす。そのハンカチで顔を拭こうと目前までハンカチを運んだその時、何故か茉莉の手が止まった。
「あ、これ」
「ん? どうした……って。何でそんな高いハンカチ持ってんの?」
「え、このハンカチ高いの?」
 そのハンカチは高級感漂う深緑色でデザインされていて、きっと材質が良いのだろう、余計な皺は一切寄っていない。金の刺繍でとある有名ブランドの名前が施されている。
「すげぇ高い。確か一万は下らなかったと思うけど」
「え!?」
 茉莉は驚いて体を仰け反らせる。ハンカチではなく自らの手の甲でもう一度瞼を擦り、ハンカチを凝視する。てっきり茉莉の所有物だと思っていたから、俺はその反応の意図が読み取れず押し黙るしかない。
「これ、ある人から借りたものなんだ。返すの忘れてた」
「へぇー、随分と金持ちの友達がいるんだな」
「友達じゃない。河川敷で偶然会った変なおじさんから借りた」
『変なおじさん』というキーワードに、体が無意識に反応する。脳裏をよぎったのは、道路沿いの高架下で話したおじさんのこと。
 いや、変なおじさんなんてそこら中にいるじゃん。いてもらっても困るんだけど。でも、まさか。
「なぁ、茉莉? そのおじさんの名前とか、聞いた?」
「聞いたには聞いたけど、んー、あれ名前って言うのかなぁ。つーか明らかに偽名なんだけど。えーっと、確か……クローンおじさん?」
「違う、クリーンおじさんだ」何だそのB級映画のタイトルみたいな名前は。
「あ、それそれ、って、未来会ったことあるの?」
 やっぱりか。あのおじさん、本当にいろんなところに出没してるんだな。偶然って怖い。
 でも、茉莉が俺にもう一度会おうと思い立ったきっかけは、クリーンおじさんに会ったからじゃないかなと、予想の範囲を超えない思慮を巡らせてみる。
「おじさん頑張り屋さんだねー。でもやっぱりあのおじさん、何か変だよ」
「変なのは元からだろう」
「そうかもしれないけど、そうじゃなくて。あのおじさん、見た目はみすぼらしいのにハンカチだけじゃなくて腕時計も高そうなやつ付けてた。それっておかしくない?」
 俺はそこまで細かいところに気を配らなかったから気付かなかったけど、確かにそれはおかしい。何で身に付ける小物類ばかり高級なものを揃えているんだ? ……いや、元々所持していたのか?
 クリーンおじさんは謎の多い存在だ。俺はそれで良いと思っていた。わざわざ正体を突き止めるようなことではないと。でも、あのおじさんは言ったんだ。これは償いだ、って。そして、私の人生にはもう未来は存在しない、と言った。
 何故そんな虚しいことを言わなければならなかったのか。一体何がそう言わせているのか。だけど、俺はクリーンおじさんについて何も知らない。
「ねぇ、あのね、未来」
 茉莉が艶のある滑らかな前髪を弄りながら、おずおずといった様子で囁く。
「なに? どした?」
 先を促してみるけど、言い淀むように口を噤む。だけど俺は、得心していた。茉莉が前髪を弄りながら話す時は、何かを思い立った時。たいていの場合、その内容は奇異に徹している。長年の付き合いで、俺はそのことをよく理解している。茉莉も理解しているのだろう、だから後の言葉が出ない。
 茉莉は一呼吸、二呼吸と間を取っていく。もうすぐ、観覧車は地上へ回帰する。
「お願いがあるって言ったら、どうする?」
 その言葉に、何だそんなことか、と思わず笑ってしまう。
 答えなんてとっくの昔に分かっているだろうに。
 だって、俺たちは幼馴染だろう?
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Comments

読みましたよ。

相変わらずすばらしい文体ですね。
うらやましいです。
最初の二つの物語は繋がっていたんですね。
とっても面白かったです!
恋愛の要素も入っていてとてもよかったです。

相変わらず感想がヘタですいません・・・。

次の作品も楽しみに待っています。

           歌雨 こころ
Posted at 2010.05.09 (21:34) by 歌雨こころ (URL) | [編集]
こんばんは、つかボンさん。
読ませていただきました。まず最初に、面白かったです。ご馳走様でした。

前回の終わりから未来と菜莉のやり取りを楽しみにしていましたが、想像以上でした!
特に、菜莉が良かったです。『デートしましょ!』この出だしでもうやられてましたね。

次回で最終回というのは寂しいですが、この作品らしいラストを期待しています。
Posted at 2010.05.10 (03:18) by じたま (URL) | [編集]
Re: タイトルなし
歌雨さん、コメントありがとうございます。

今回も読んでいただきありがとうございます。
今の文体にもだんだんと慣れてきました。あとは、そこから自分らしさを手に入れるために試行錯誤していく感じです。
いろいろと伏線を散りばめているので、それらを矛盾なく回収していくのが大変です。
今回は気心の知れた二人の絡みということで、いつもと雰囲気を変えてみましたが、それが伝わっていれば幸いです。

感想が下手などということは全くないので安心してください!
歌雨さんの気持ちは真っ直ぐに伝わってきています。
難しい言い回しなど使わずに感じたことを書いてくれているので嬉しいです。
次回も楽しみにしていてください。

じたまさん、コメントありがとうございます。

今回も読んでいただきありがとうございます。
じたまさんに面白かったと言われると、書いてよかったと救われる気持ちになります。

茉莉の出だしの言葉は『クリーンおじさん2』の執筆段階ですでに頭の中に浮かんでいました。
茉莉らしさが出ていればいいなと思います。

ラストも期待に応えられるよう精一杯作品に気持ちを込めていきますので、楽しみにしていてください。
Posted at 2010.05.10 (23:08) by つかボン (URL) | [編集]
コメントしたと勘違いして、遅れてしまいました・・・。

ここで「転」ですか・・・!
締めに向かっての三話は素晴らしかったです!!
今までの二作と違い、知人同士だったのがあるのか、その文体がより合っているような気がします。本当に近しい存在だということが伝わってきました!
駆け足どころか、これくらいで良いのではないでしょうか??登場人物も二人だけと、より収束していくような感触がしました。

次作完結ですか・・・。寂しいですね。
私も四連書き上げたのですが、やはり伏線の回収には手間取りますよね・・・。
矛盾が出てもこの際気にしません!!つかボンさんらしいラストを拝見させていただきます!!
Posted at 2010.05.13 (21:13) by ask (URL) | [編集]
Re: タイトルなし
askさん、コメントありがとうございます。

askさんからコメントがなかったので少し不安になっていましたw

読んでくださってありがとうございます。
気心の知れた仲同士の掛け合いを上手く描けているか心配だったのですが、ちゃんと伝わっていて良かったです。
気になっていた物語の展開ペースですが、askさんにそう言ってもらえると自信が持てます。

次回の本編最終章、この作品にふさわしいラストを飾れるよう誠心誠意を込めて書いていきたいと思います。
楽しみにしていてください。
Posted at 2010.05.14 (00:35) by つかボン (URL) | [編集]
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Author:つかボン
前ブログ『BOOKDAYs!』の元管理人。
入間人間先生をこよなく愛し、自らも作家を目指す小説家志望だが、その実態は堕落人生まっしぐらのダメ学生。
しかし落ちるところまで落ちればあとは昇るだけ、それは可能性の獣。

同人誌『Spica-スピカ-』のメンバーとして活動もしています。
コメントなどはお気軽に。
どうぞよろしくお願いします。

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